◆第十回◆ お茶



長屋の花見(ながやのはなみ)

~江戸の美酒はお茶を薄めた色?~



貧乏長屋を取り仕切っている大家さんが、とある春の日、長屋の住民たちを呼び出すところから噺は始まります。大家さんから呼び出されたこの長屋の住民たちは、店賃(家賃)の催促ではないかと、恐る恐る訪ねてみると…。


大家:「どうだい?花見に行かねえか?いま、見頃だってぇが、どうだい?」

長屋の住民:「じゃあ、長屋の連中と並んで花見て帰ってくりゃいいですか?」

大家:「それじゃあ、子どもの遠足じゃねえか。“くむ酒は是(これ)風流の眼(まなこ)なり月を見るにも花を見るにも”ってくれえだから、まず酒、肴がねえといけねえな。」


という大家さん。この貧乏長屋の貧乏神を追い払おうと、粋な計らいというわけです。大家さんは奥から一升瓶を三本と、かまぼこと玉子焼きを出します。長屋の者は大いに喜び、口々にお礼を言いますが、用意されたものをよくよく見てみると一升瓶の中身は番茶を水で薄めた“おちゃけ”、かまぼこは大根の御香香(お新香)、玉子焼きは沢庵でした。長屋の店子(住民)たちは酒やかまぼこ、玉子焼きと聞いて胸躍らせていましたが、中身を知り、がっくりと肩を落とします。大家さんは番茶を薄めたものを“お酒”だとしています。大家さんは少しでも雰囲気を出そうと、当時、名酒の色とされていたであろう、薄い黄色を出すために番茶で“おちゃけ”を作ったのでしょうね。なんとか知恵を絞り、貧乏長屋のみんなを景気づけようとしている姿になんとも言えない可笑しみがありますね。このことからもわかるように、お茶は貧しくても手軽に手に入る嗜好品だったのでしょう。

落語には「お茶をおあがり」というやり取りが多くありますね。これは、昔の家には必ず、玄関に上がり框があって、次に四畳半ほどの部屋があり、その奥に六畳くらいの部屋があるというのが主な構造でした。落語の主人公たちは奥の六畳の間にいるわけです。今は見なくなってしまいましたが、そこには当時の人々の必需品であった長火鉢が必ず置いてあるんです。長火鉢の中には銅壷(どうこ)といって、銅でこさえた窯みたいなものがあり、長火鉢の枠の中には炭を入れておくわけです。銅壺の中は空洞になっていて、その空洞に水をたくさん入れていたわけです。なので、その頃はいつでもお湯が沸いているか、片っぽに手あぶり(火鉢)みたいなものがあって、その上に鉄瓶が乗っかり、中はお湯がいつもちんちんとたぎっているという、そんな風景だったのです。いちいち火を起こして湯を沸かすなんて、バタバタしないでも、常に長火鉢の銅壺の中にはお湯がある。だからお燗もつけられるし、訪れる人があったら顔を見て「おお、よく来たね。ひとつお茶でもおあがり」とごく自然に言葉が出てくるんですよね。特別な事ではないわけ。茶葉も長火鉢の小引き出しにあるので、番茶や煎茶なんかをすぐに淹れられるんです。落語『鼠穴』では「あの兄貴はからっ茶一杯出さねえ」というセリフがあります。これは「簡単に淹れられるお茶の一杯も出さないケチ」という意味です。さて、貧乏長屋の連中は、貧乏神を追い出そうと、陽気に出かける大家を先頭に、毛氈代わりの筵に“おちゃけ”と“沢庵”、“玉子焼き”を包み、「花見だ、花見だ」と繰り出します。満開の桜の下に着いた一同は“お茶盛り(おちゃかもり)”を始めます。しかし、“玉子焼き”をぼりぼりかじって、「長屋中歯を食いしばる花見かな」と俳句をひねる人があり、誰一人酔わない。大家さんの命令一下、酔ったふりをした一人は「本物の酒を持ってこい!」と酒癖が悪い。また気分が悪くなったという男は、どんな気持ちだと聞かれ「井戸へ落っこちたような気持ちだと」言い出す有様。その内に心ならずも酔っぱらった態の一人が、注いでももらった、お茶けをしげしげと見つめ…。


長屋の住民:「大家さん、近々この長屋にいいことがありますぜ・・・ご覧なさい、“酒柱”が立ちました。」





茶の湯

~茶の湯の作法は難しい…?~



お茶の種類には茶葉を挽いて粉にした抹茶がありますね。抹茶は茶の湯で使われるお茶の種類であり、点てる時には流儀や作法がしっかりと決まっています。落語『茶の湯』はそんな流儀と作法に焦点を当てたお噺です。一代で身代を築き、あとは倅に暖簾を譲ったご隠居。若いころから働きづめだったので、仕事から離れてみると、退屈で仕方がない。たまたま家には茶室道具一式があるので、茶の湯を始めようしますが、茶の湯の作法などまるっきり知らないご隠居は小僧の定吉に「昔に習ったきりだから、忘れてしまった。」とうそぶきながら始めてしまいます。


ご隠居:「初めに青い粉を入れたな。あの粉がなんの粉だったか…。」

定吉:「ああ!あの粉なら知っています!すぐに買ってきます。」


定吉は抹茶ではなく、青きな粉を買ってきます。定吉はともかく、ご隠居は抹茶すら知らないので、お湯に入れてかき回すも、泡の立った抹茶になりません。


ご隠居:「あぶくが出てこないねえ。なにかあぶくが出るものが入ったんだが…。」

定吉:「あ!アレを入れるとあぶくが立ちますんで、また買ってきます!」


続いて定吉がムクの皮を買ってきたので、釜の中に放り込むとみるみる泡が立ち、青きな粉を溶いたのと混ぜ合わせると味はとんでもないが、ご隠居の想像通りのお茶が出来上がりました。初めのうちは定吉にようかんを食べさせながら、二人で“お茶もどき”を点てて楽しんでいましたが、しまいには、二人とも腹を下してしまいます。ご隠居はそれでも懲りずに定吉を捕まえては“お茶もどき”を点て続けます。この難を逃れようと、だれかを代わりに客にしましょうと、定吉はご隠居をそそのかし、長屋の鳶頭、手習いの師匠、豆腐屋の三人を呼び出します。鳶頭、豆腐屋に茶の湯の心得はなく、断ろうとしますが、辛うじて飲み様だけ知っている手習いの師匠を頼りに赴きます。“お茶もどき”を飲み動転しますが、茶菓子のようかんだけは本物なので、それを口直しにして「これは美味い!」と世辞を言い、切り抜けます。ご隠居は自分の茶の湯の腕前を褒められたと勘違いしてしまい、連日だれかを呼んでは“お茶もどき”を振舞いますが、気が付くとようかん代が馬鹿になりません。安く済ませようと思案した挙句、サツマイモをふかしてすり鉢で練り、蜜と黒砂糖で甘みを付け、仕上げに灯し油(現代で云う灯油のようなもの) を塗ったお椀で型抜きをした、菓子をこしらえます。一見すると美味しそうに思いますが、これは“お茶もどき”に輪をかけた、世にも恐ろしい味の菓子だったはずです。ある日、初めて招かれた金兵衛という人も“お茶もどき”を飲んで仰天し、口直しに菓子を頬張りますが、これまた物凄く、辛抱出来ずに厠へ駆け込みます。余った菓子を窓の外の畑に投げ捨てると、近所のお百姓の顔にべっとり。顔に付いたのを手に取ったお百姓…。


お百姓:「なんだ。また茶の湯か。」


お察しの通りだと思いますが、招かれるお客人はみな、厠からご隠居が作った菓子を投げ捨てていたわけですね。ご隠居がこしらえる“お茶もどき”に使われる青きな粉とは青大豆を挽いたもので、風味高い材料ですので、そこまで味をダメにするものではありません。

あの馬鹿バカしいの飲み物の悪の根源はムクの皮にあるわけです。ムクの皮とはムクロジという植物の実の皮だそうで、洗濯に使われていたんですね。泡が立ってくるから。その泡で汚れを落とそうっていうので、ムクの皮を削って洗濯物に絡ませて、洗濯をしていた

わけです。昔は余計に水を使えない、飲み水は買っていましたし。水は大事にしないといけない江戸っ子たちの生活の知恵だったのです。




芝浜

~除夜の鐘を聞きながら、福茶で縁起を担ぐ~



お正月から節分にかけて昔から飲まれている縁起の良い“福茶”というものがあります。福茶というのは地方によって作り方は異なりますが、昆布、大豆、梅干しなどをお茶で割って、飲むものです。この福茶、屈指の人情噺として名高い落語『芝浜』に登場します。酒を飲んでは仕事を怠ける亭主に、今日こそ仕事に行ってもらわなきゃと、しびれを切らした女房は、ついつい早く起こしてしまいます。これが、夢のような話の始まりだったのです。早起きし過ぎて魚河岸の問屋はまだ開店していません。しょうがない、浜辺で夜明けを待っていると波打ち際に落ちていた財布を見つけ、中に大金が入っています。家へ飛んで帰り、これで遊んで暮らせると、友達を呼び集めてまた酒を飲み、寝てしまいました。翌朝、商いに行けと女房にたたき起こされた亭主、浜辺で拾ったお金のことを話すと、「夢でも見たんでしょう」と言われます。金を拾ったのは夢で、友人とドンチャン騒ぎして散財したのが現実だと聞かされ、すっかり改心します。禁酒を誓い、商いに精を出した甲斐

があって、三年目には小さい店を構えるようになりました。大晦日の除夜の鐘を聞きながら、


亭主:「んん?なんだ、福茶か。福茶の味なんざ、忘れちまったい。たまに飲むと美味ぇもんだ。」

女房 :「お前さん、お酒飲みたい?」

亭主:「いやぁ、飲みたかねえ。それよりも茶淹れてくれ。」


この言葉にすっかり改心したとみた女房は三年間の労いと感謝の念を込めてお燗を差し出します。「飲みたかねえ」と言いつつも嬉しそうな亭主。久しぶりの酒を目の前にして、酒との再会を喜びますが、そこで一言呟いて、幕引きとなります。『芝浜』は夫婦愛とお酒が大きなテーマとして描かれますが、じっくりと聴いてみると、亭主が商売に勤しんだ三年間は女房が淹れた煎茶や番茶と共にあったのだろうと、想像が掻き立てられます。福茶が縁起物として飲まれていたことからも、お茶は当時から庶民と強く結びついていたことがわかります。落語の高座ではよく、蓋つきの湯呑みが置いてあるのを目にしますね。あれは小道具としての役割もありますが、六代目・三遊亭圓生師匠からは「あれは飲むんじゃなくて湯気でもってのどを湿すんだ。それで噺に入る。」と教わったことがあります。もっと言うと、昔は高座に火鉢が置いてあり、鉄瓶が掛かっていて、脇に茶碗が置いてあったんです。鉄瓶の中はお茶ではなく、白湯であるというのがお決まりでした。その当時は高座に出てくると、自分でもって白湯をついでのど湿らせて、1席やったというわけです。