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◆第四回◆  お菓子編

 僕らが子どもだった頃、町中のあちらこちらで紙芝居をやっていました。タダで見るわけにはいかないんで、棒の先に水あめをちょっとつけたものを一銭や二銭で買って、紙芝居を楽しんだものです。子どもにとっては、水あめが一番身近だったのではないかと思われます。昔、精製した砂糖というのは高級品で、落語に登場する熊さんや八っつぁんにとっては、あまり縁がなかったかも知れません。砂糖の材料はサトウキビですが、甘みのもとになるものは、その他にも甜菜やハチミツ、水あめ、さつまいもや栗など色々あり、甘み=砂糖と考えなくてもいいのです。落語にも、まんじゅうや羊かん、アメ、焼き芋など様々な甘い食べ物が登場します。このことからも、庶民はあれこれ工夫して甘みを楽しんでいたことが伺えます。



第一話 子別れ

親子の絆を気付かせるまんじゅう

 落語に登場するお菓子の代表格といえば「まんじゅう」でしょう。江戸時代、町中には数多くのまんじゅう屋があったそうです。当時のお菓子屋というのは、手広くお菓子全般を扱うのではなく、一つのものを作ってそれだけを売るというスタイルでした。当時のまんじゅう屋の様子を落語から思い描くと、店の前に釜のようなものがあり、そこに置いた蒸篭でまんじゅうを蒸かしていたようです。まんじゅうの歴史は古く、「饅頭」という漢字から見ても、おそらく中国発祥のもので、仏教の僧侶たちが日本にもたらしたのではないでしょうか。

 まんじゅうが登場する落語で皆さんご存じなのは『まんじゅう怖い』でしょう。町内の若い男が集まって怖いものの言い合いをしている中、一人可笑しなことを言い出します。


「おれは……まんじゅうが怖い」


普段からそいつのことをよく思っていない男連中は、怖がらせてやろうと企てます。栗まんじゅう、葬式まんじゅう、こしだかまんじゅうなど、色々なまんじゅうを買ってはそいつの枕元に置き、隣の部屋から様子を伺うと…。そいつは口では「怖いよ…、怖いよ…」と言いながら、まんじゅうを頬張っているのです。実は、全てがそいつの思惑通りだったのです。男連中が「おい!お前、本当は何が怖い?」と問うと、「今度は熱いお茶が怖い」というオチです。色々な種類のまんじゅうが出てくるのは、家庭でも手軽に作れてしまうことから、お店では手の込んだものや名前を工夫することで、まんじゅうのレパートリーが増えていったのではないでしょうか。

 さて、もう一つまんじゅうが大事な要素となる落語があります。それは『子別れ』という噺です。主人公の熊さんは腕のいい大工ですが、遊びが過ぎて、おかみさんと息子の亀ちゃんは家を出て行ってしまいます。反省した熊さんは、心を入れ替えて一生懸命働きます。

そんなある日、まんじゅう屋の前を通ると良い匂いが漂ってきます。


「あいつ、まんじゅうが好きだったよな…」


熊さんはまんじゅうの匂いで亀ちゃんを思い出し、思わず泣いてしまったのです。まんじゅうの皮は小麦粉に麹を入れて発酵させているため、ほのかに甘い匂いがします。外の蒸篭で蒸かしたのには、きっと宣伝という意味合いもあったのでしょう。まんじゅうの匂いにさえ涙してしまうほど、よほど亀ちゃんに会いたかったんですね。ストーリーの最後は、偶然亀ちゃんに出会った熊さんは、もう一度おかみさんに頭を下げ、また昔のように三人で暮らすというハッピーエンドです。『子は鎹』という題で演じられることもありますが、別れた夫婦をつなぎとめる子ども、親子の絆を思い出させる重要なシーンにまんじゅうが登場するわけです。



第二話 大工調べ

焼き芋は冬のおやつの定番

「垣根の垣根の曲がり角〜♪」という童謡があるように、昔は秋から冬になると町中で子どもたちが焚き火をする風景はよく見かけるものでした。大人が「おい、芋だよ」なんて言って買ってきて、焚き火で焼いたアツアツの焼き芋を食べるのは子どもたちの楽しみの一つでした。『大工調べ』という落語に、棟梁の威勢のいい啖呵の中で「焼き芋」が登場します。

与太郎は家賃を一両二分八百文滞納してしまったために、払うまでのカタとして、大家に「道具箱」を取り上げられてしまいます。気風のいい棟梁は与太郎に一両二分を渡して取り返しに行かせますが、「あと、八百文持って来い」と、大家に追い返されてしまいます。見かねた棟梁、今度は二人で交渉に行きますが、大家の言い草があまりにもひどいので、じっと我慢していた堪忍袋の緒がプッツン…


「てめぇなんぞ、もとは番太郎でもって、焼き芋売っていたんじゃねーか。前の六兵衛番太が死んだのを忘れるとおめぇ、バチがあたるぞ。お前が番太になれたのも、六兵衛番太が死んだからじゃねーか。六兵衛じいさんの頃 には、川越の本場の芋を仕入れて、 薪をおしまねえから、ふっくらしてうめー焼き芋だったんだ。それがお前の代になって 焚き物をおしみやがって、場違いな芋を仕入れてくるから、ガリガリでもって、それを喰って腹壊して死んだ子どもが何人いるかわからねえや」


大家はかつて番太郎をやっており、棟梁はその時の焼き芋に対する文句を言っているのです。江戸っ子の棟梁の啖呵はスカッとして、何とも気持ちのいいものです。結局、大家と棟梁では埒が明かないので、町奉行の大岡越前守が裁きを下すという結末です。

 昔、焼き芋といえば番太郎が売るものと決まっているようなものでした。番太郎とは、今で言うところのマンションの管理人のようなものです。江戸の町々では、境界に木戸があり、朝夕に開け閉めして管理する番人を置いていました。それが番太郎です。木戸番、番太などともいいました。番太郎は木戸の傍の番小屋に住み込みで、貰えるお給金はごく僅かなので、副業をしていたわけです。例えば草鞋やロウソクなどの生活雑貨、駄菓子、そして冬には焼き芋を売っていました。棟梁の啖呵にあるように、サツマイモは川越を本場として流通していました。大家の一代前の六兵衛番太は川越のサツマイモを仕入れ、薪を惜しまず火でじっくりと焼上げていたが、大家が番太郎だった時は薪を惜しんで生焼けだったというわけです。昔は精製した砂糖なんて高級品で庶民が口にできるようなものではありませんでした。もちろん、スナック菓子やチョコレートのようなお菓子などありません。そんな時代、焼き芋は甘くて庶民でも手軽に手に入り、子どもたちの大好きなおやつだったというわけです。 



第三話 孝行糖(こうこうとう)

孝行糖ってどんなアメ?

 少々頭は弱いが、ことのほか親を大事にする男に、奉行所から親孝行の褒美金が与えられ、それを元手に商売を始めようと考えます。そこで思い付いたのがアメの行商で、その名も『孝行糖』です。当時、役者の名前や流行りものにちなんだ「○○糖」という様々なアメが売られ、宣伝文句として使われたそうです。例えば、歌舞伎役者のスーパースターである中村芝翫(なかむら・しかん)になぞらえて「芝翫糖」や、同じくスターの嵐璃寛(あらし・りかん)になぞらえた「璃寛糖」などが大流行していたそうです。


 賑やかで楽しい行商の売り声から、『孝行糖』とはいったいどんなアメ、どんな味なのか想像してみましょう。



「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は、うるのこごめに寒晒し、かやに銀杏、ニッキに丁字、

ちゃんちきち、すけてんてん、たべてみな、おいしいよ~」


「うるのこごめ」というのは、うるち米の小米のことで、小米とは潰れたり欠けたりしてお米としては使えないものです。「寒晒し」とは、寒い時に天日にさらすことです。「かやに銀杏」とは、茅と銀杏の実ということでしょう。

ちょっとした時に間食する、ガムや飴みたいなものと考えられます。「ニッキに丁字」は香辛料ですね。売り声から、どんな材料で作られているのか想像はできますが、いったいどんな味なのでしょう。本当に「孝行糖」というアメが存在したかは定かではありませんが、噺家が落語の中でこさえたものかもしれませんね。


第四話 明烏(あけがらす)

お菓子といえば女・子どもの食べ物

 今では、「甘党男子」たるものが存在するかもしれませんが、昔お菓子といえば、どちらかといえば女・子どもが食べるもので、男が口にするようなものではなかったようです。『明烏』という落語は吉原を舞台にした噺で、甘納豆を食べるシーンが見所の一つになっています。

 息子が道楽者だと親は心配ですが、あまりに堅物すぎても同様に心配するようです。そんな息子を心配した親父は、町内で「札付きの遊び人」というあだ名を与えられてしまっている源兵衛と太助に、息子を吉原に連れていくよう頼み、若旦那は二人に騙されて無理矢理吉原へ連れて行かれます。逃げ帰ろうとするも脅され、泣く泣く花魁と一夜を供にする羽目になりました。翌朝、源兵衛と太助は互いに相方の女に振られ面白くありません。そこで、悔し紛れに、花魁の部屋に置いてあった甘納豆を食べるのです。


「ここのね、戸棚開けたら、甘納豆があったからね、ちょいと朝の甘みはおつだよ」


大のいい歳した男が、ぶつぶつ言いながら甘納豆を食べている風情は何とも可笑しみがあります。若旦那はどうしているだろうと起こしに行くと、花魁と仲良く寝ているので、源兵衛と太助はさらに面白くありません。甘納豆は女・子どもが好きなお菓子だということが分 かって聞くと、さらにこのシーンの面白みが増すかもしれません。

 この甘納豆を食べるシーンには逸話が残っています。名人・八代目桂文楽が演じたところ、寄席の売店で売られていた甘納豆がすべて売り切れになったほど観客を魅了したと言われています。『黒門町の文楽さんは上手かった。それはいかにも、本当に甘納豆を食べているようでしたよ。』


用語解説

●黒門町の文楽・・・名人・八代目桂文楽が黒門町に住んでいたことから、黒門町といえば文楽のことを指す。完璧主義でひとつひとつの落語を徹底的に練り上げ洗練させて、緻密で繊細な落語にしている。



第五話 人形買い

行事とお菓子の関係

 昔から行事ごとに食べるお菓子というのは決まっています。三月はひなあられ、五月は柏餅、九月は名月のお月見でお団子、お正月には鏡餅や菱餅。日本では、季節とお菓子が密接に結び付いています。『人形買い』という落語では、端午の節句にちまきが配られる様子が描かれています。今では柏餅が一般的かもしれませんが、昔、江戸では柏餅、京都・大阪ではもっぱらちまきを配っていたそうです。そのお礼として、親戚や近所の人々は五月人形を贈るという習わしがありました。

 長屋の神道者の家に男の赤ちゃんが生まれたので、ちまきが配られました。そこで、長屋二十五軒で、一軒百文ずつ、二貫五百文でお返しの五月人形を贈ることになり、月番の二人が金を預かって人形を買いに行きました。二人は人形代を値切って安く済ませ、浮いたお金で一杯飲もうと企みます。


人形屋に行ってみると、豊臣秀吉か神功皇后の人形ならば二貫四百文に値切ることができました。どちらの人形にするか決めきれない二人はいったん長屋へ帰り、相談してから決めることにします。占い師と講釈師に、どちらの人形が良いか尋ねたところ、占いをされたり、講釈を聴かせられ、それぞれから五十文ずつ百文取られて結局、浮いたはずの飲み代がパァになってしまうという結末です。

 昔、お祝い事などがあった時、町内の人や親戚にお菓子を買って届けるという習慣がありました。落語の中で描かれるように、近所付き合いは今よりもずっと親密であったことが伺えます。今じゃ、少なくなってしまったかもしれませんね。僕が育った頃は当たり前で、何かおめでたいことがあったら「お赤飯を炊きましたから」とか言って、近所に届けたりしたものです。